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「この『輝かしい』世界は永遠に続く」という絶望

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だから私は「この世界の片隅に」が日本で大ヒットしたことは(しかもじわじわと)、本当に素晴らしいことだと思いました。

■作者のこうの史代さんは1968年生まれで、実は私とほぼ変わらぬ同世代です。私が強く感じたのは「多分、こういう世界観を描けるのは、私たちの世代が最後かも」ということです。私たちが(あえてWeをつかいます)が子供だったころ、世界にはまだ光と影がありました。世界に凹凸があって、世界には「暗部」があった。世界はもっと立体的でした。
■「ヤクザ」「部落」「朝鮮人」…大人がひそひそと語る言葉があって、子供はそこから除外されている。そしてなんとなくその言葉の意味を推測する。市街地に出れば、そこには小さな路地があり、そこに入ることは禁止されている。路地に入っていくと、そこは「何かものすごくいけないもの」がある。そういう時代でした。
■そして「人の死」を隠しませんでした。お葬式は自宅でやるものでした(今は「葬儀場」)。人が死んだら、皆で遺体を見て最後のお別れをしました。近所の人たちでお葬式の手伝いをしました。死ぬということは、生きている以上は避けられない「影」でした。昔はそういう「影」の存在がありました。「影」の存在があったということは、「影」を隠さかったということなのです。ものすごく逆説的ですが。
■人の死は、実は常にそこにあります。私たちの生活は、ほんのちょっとしたことで壊滅的に壊れてしまいます。「この世界の片隅に」のすごいところは、戦争も「生活(=日常)」の一部であるという世界観です。戦争は「高揚」の理由ではありません。人の死は淡々と日常の中で解釈され、咀嚼されていきます。むしろだからこそ、その悲しみの深さが伝わってくるのです。

■今は、世界も社会も光に満ちています。LEDライトで全面が煌々と照らし出され、一隅の「影」も許されない。「この『輝かしい』世界は永遠に続く」という絶望。絶望が絶望として認識すらされないという日常で、アンドロイドはどんな夢を見るのでしょうか。

写真は、2か月ぐらい前に作った焼き餃子。餃子があまりにも好きでどうしたらいいかわかりません。ところで、「光だけの世界は、影だけの世界より生きづらい」という主旨の文をどこかで読んだのですが忘れました。どなたか教えてください。