愛する人が苦しそうにしているのに無視できる。


■「配偶者と自分とのつながり」は、「自分と社食のおばちゃんとのつながり」以上のものであるはずです。配偶者とは、自分の愛する人であり自分の盟友であり、自分の最も間近にいる人(のはず)です。そういう人が、辛そうにしているのに無視できる。愛する人が苦しそうにしているのに無視できる。これはもはや「自分の仕事ではないから無視できる」という以上の理由がある……と私は考えています。

■上記の意味において「伝わるようにして伝える」ことで、配偶者が理解してくれるというのは、極めて健全で良好な夫婦関係といえるでしょう。問題はそれができない夫婦です。「なぜ、妻(や夫)の苦しみを見てみないふりができるのか?」私の疑問はここに集約されます。

■仮定その1:妻(や夫)を「自分の最も身近で大切な人」とは思っていないから。どうでもいい人、もしくは便宜上一緒にいるだけの人なので、辛そうにしていても死にそうにしていても、自分とは関係がないからです。こういう人間関係が「夫婦」といえるかは大いに疑問です。子どもができたら一体どうするんでしょう? 自分の子どもが苦しんでいても平気な親もけっこういますが。

■仮定その2:妻(や夫)に限らず、他人全般に対する配慮や思いやりの気持ちを持てないから。こういう人も実は少なからずいます。私から見ると、もはや人格障害の領域です。子どもができたら一体どうするんでしょう? 自分の子どもが苦しんでいても平気な親もけっこういますが。大切なことなので2回言いました。

■仮定その1に関しては、「夫婦関係」というものが、そもそも変わってきている、とも言えます。「友達夫婦」とか「単なる同居夫婦」とかいうものです。薄くなっているということです。しかし、子どもが生まれると、この関係は激変せざるを得ません。育児関係の負担が女性(または男性)の片方のみに押し付けられる状態では、片方だけが圧倒的に不幸になります。

■夫婦やカップルの関係で「子供ができたとき」は、非常に大きなターニング・ポイントです。ここで「変われるか」は、「その人の何か」を決定する気がします。

■仮定その2に関してですが、個人的にはここに最も興味があります。これについては、考えたいことも書きたいことも山ほどあるので、改めます。ちなみに「ある分野」ではこういう人々に対する研究が進んでおりまして、たいへん興味深いです。

■仮定その1であっても、仮定その2であっても、このような人々は結婚や育児には向いていない人だ、とも言えます。前向きな言い方をすれば「一人でずっと生きていける人たち」ということです。「人そのもの」が変化しているのかもしれないですね。ですから、無理してつがったり繁殖したりする必要はない、とも言えます。私は、人間は生存に適する方向へ変わっていくと思っています。ですからこのような「人の変化」が劣化なのか進化なのか、その価値判断はいたしません。

■以上のこととは全く関係なく、そういえば「結婚すれば幸せが2倍」といいますがある意味では苦しみも2倍です。2倍どころか4倍とか10倍とかにもなります。しかし、この「不幸の倍返し」があるから、幸せも「さらに倍!」となるのです。育児は、この倍率がもっと上がる感じです。はらたいらです。どんな人間関係であっても「いいとこどり」というものはありません。