「神はそれを望んでいない」The Emotionally Destructive Marriage その2

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■誰の言葉か失念してしまったのですが、次のような言葉があります。「宗教は、回答を与える。文学や哲学は、疑問を投げかける」。私が宗教にあまり近寄らない理由はこれです。つまり「回答を与える」という点で、私は宗教に依存するのが嫌なのです。ああでもないこうでもないと考えるのが、私は好きなのです。あと、未だに中二病が完治していないので、悩みと共に生きる毎日なのです。しかし、虐待となると話は別です。毎日まいにち殴られたり、暴言を吐かれている人の苦しみはなかなかその立場に立たないと理解しづらいかもです。今現在進行形で苦しんでいる人にとって、必要なのは「回答」です。できれば「適切な回答」です。疑問を抱いて考えている余裕がないからです。

■その意味でレスリーさんの著作は「回答」を与えてくれています。「こうしなさい。」「このように考えなさい。」……これは、はっきり言ってまさに「福音」でした。

■……というわけで、本日の本題です。この本の素晴らしいところ「その1」です。この本は、虐待を受けている人が、虐待する配偶者や恋人にどう対応すればいいのか、に関する宗教的実用書です。レスリーさんがこの本を書こうと思った理由は、この悩みを持つ人がたいへんに多く、なおかつ、そういう女性に対する従来のクリスチャン・カウンセラーからのアドバイスが、あまりにも役立たずだったからです。要するに「虐待されても耐えなさい。ただひたすら、頑張って尽くしなさい。神はそれを望んでいます」というアドバイスなのです。この「クソアドバイス」のせいで、虐待を耐えに耐え、尽くしに尽くした挙句、 配偶者に殺されてしまったり、自殺に追い込まれてしまったりする女性が出てきます。彼女はそれが許せなかったと言います。

■そしてレスリーさんは、これに「NO!」と言いました。この本を貫くベースとなる言葉は「神はそれを望んでいない。」これに尽きます。「神は耐えろとは言っていない。耐える必要はない。」「神は、理不尽な虐待を決して許さない。神は、愛を望んでいるのであり、虐待を望んでいるのではない。」これが、この本の基礎です。

■虐待に関連する本には、必ずフェミニズム的な要素や男女同権的要素が入らざるを得ません。そもそも、男女間の暴力は、男と女の圧倒的な権力関係に基づいて実行されるからです。この本にはそれが一切ありません。その代わりになるのが「神は望んでいない。」という「神の言葉」です。言い方を変えると、この本は、フェミニズムを換骨奪胎して肝心かなめの位置に「神様」をもってきた本です。このおかげで、男女同権を信じない人や(女性にも多くいる)、フェミニズムを毛嫌いする人たち(女性にも多くいる)にとっても、この本は受け入れられ得る本になっているのです。

■「利用できるものは何でも利用すればいい」まさに。「フェミニズム」である必要はないのです。必要なのは、現実的に「救われること」、実際の暴力から逃れ、そこから回復することなのです。

■また、次の回にも書きたいのですが、アメリカのフェミニズムには大きな特徴(というか問題点)があります。これは、アメリカにおけるいわゆる「第二波」フェミニズム運動(ウーマンリブ)が登場した歴史と関わりがあります。ウーマンリブが登場したのは、1950年代~1960年代、公民権運動の盛り上がりの時期とほぼ重なっています。公民権運動は「人権思想」を背景に平等を求める運動でした。