子どもを産むのは何のため

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■私は子供を産みましたが、「社会のために子どもを産もう、育てよう」とは微塵も考えませんでした。「子どもを産まない私たちは社会の捨石に」という例の発言に「???」と感じる所以はそれです。子どもを産むのも育てるのも、社会のためなんですか? というか、社会って何ですか? 国ですか? 国のために産むんですか? ネトウヨも真っ青の国粋主義

■私が子どもを産んだのは、他人のためではありません。ましてや社会のためではありません。私の幸せのためです。産みたいから産むんです。産みたいのに産めないのは残念なことですが、それを「社会」と直結させるのは、私には何かの「ごまかし」に見えます。だから産みたくないなら産まなければいい。産んで幸せだと思えないなら、産まない人生があっていい。それの何が悪いのでしょう。

摂食障害の患者が「食欲」を自覚できなくなるのと同じで、子どもを産むことについても「本当は何が欲しいのか、それは何のためなのか」ということが、よくわからなくなっているんだと思います。それは周囲のプレッシャーが大きすぎるからです。プレッシャーをかけるのは「社会」ですか。私にはそうは思えません。「世間はこうだよ」という圧力をかけてくるのは、9割がたは親です。残りは周囲の自称・友人だったり会社の人だったり。だから捨石さんが「社会」と呼ぶとき、それはたぶん自分の周囲3メートル程度の「社会」であって、より具体的にはほとんど親のことかと思います。

■自分の親とどう渡りをつけるかは、最終的にはその人が自分でやりくりすることです。ましてや団塊ジュニアの年齢に達しているのなら「未だに自分の親を責める」という有様は、あまりにも不幸すぎる。

■私は、育児や保育に税金を使って社会支援することについては、反対ではありません。必要です。ですが、国が「産む・産まない」という生殖の私事に介入してくることについては、大いに反対です。大いに大大大反対です。子どもを産むことも産まないことも、その人が個人として決めることなのです。個人の「好み」として決定することなのです。