どん底

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■「青春の正体とは、無責任!」と看破したのは私の敬愛する三浦じゅん氏です。ほぼ同様のことをスイス大使 ラユン (@yuzu_rayun) さんが「成熟は年齢とともに来るのではなく、責任を受け入れることから始まる。」と言っていました。

■この意味で、子どもができると(母親は特に)「成熟」せざるを得ない部分があります。但しあらかじめお断りですが、親になっても青春を謳歌しまくっている人がいることは間違いありません。親になることの「責任」とは? これをもっと具体的に言うと「最後まで子どもを守らないといけない」ということだ、と私は感じています。

■子どもが独り立ちできるようになるまでは、つまり子どもが自分で自分の面倒をみて、自分で自分を守れるようになる(=責任をとれるようになる)までは、親が子どもを守らないといけません。高いところから落ちないように。熱々のやかんに触らないように。お店からものを盗まないように。……etc,etc。親はこれを途中で放棄できません。放棄すると、最悪、子どもが死んでしまいます。

■守りすぎて、子どもの自立を永遠に阻む親もいるので、難しいところです。

■50歳になっても60歳になっても親になっても祖父母になっても、成熟からは程遠く、青春真っただ中な人もなくさんいます。この場所は、お金持ちがたくさんいます。親の資産をあてにして生きている人がまったく珍しくありません。また「親の意のままに生きることに疑問を感じない人」も珍しくありません。こういう人たちを見ているとどん底に落ちる」ことで、人は初めて責任を引き受けるものなのかも? と思うことがあります。

■我が子に「どん底」を経験してほしいと願う親はあまりいないと思います。しかし親は概ね子どもより先に行かねばなりません。

■手を差し伸べることが地獄への道しるべでもあることを私たちは知らなければならない……とスポイルされまくった人々を見るにつけ思います。どん底を経験しなくても、自由に自分の人生を謳歌できるように。そして幸せに生きてほしい。と私は自分の子どもを見るにつけ思います。

■……とはいうものの、人生を本当に豊かにしてくれるものは、実は圧倒的な不幸であったり、絶望的などん底であるのかもしれない、とこれまで生きてきたン十年を振り返って思うこともあります。

■週末に、山岸涼子「白眼子」を再読して考えたことでした。