アメリカへ戻ってきた理由 5

当時、ホントにもうどうしようもなくお金が足りなくなっていたにも関わらず、子どものために九州や中国地方から、葉物野菜と牛乳を買っていました。米も九州です。2011年いっぱいぐらいまでだったと思うのですが、夫が、私の買ってくる食品のほぼ全てを「これはどこ産だ」とチェックしていました。

かっぱえびせん」「ポテトチップ」「コーンフレーク」に至るまで、お客様相談室へ電話して「原材料はどこのですか」と毎日まいにちたずねていました。

粉ミルクだったと思うのですが、工場内の空調が原因で放射性物質が付着した、ということがあったと思います。このニュースが報じられた後は「製造工場」にまでチェックが入るようになりました。北関東に工場がある食品に「禁止対象」が広がってしまい、一時はついに「ほとんど買えるものがないんじゃね?」状態に陥りました。

魚は、外国産以外は禁止。缶詰の原料産地が「北海道」だったことで数日間口をきいてもらえなかったこともありました。2010年半ばに日本へ戻ってきて「これで美味しいお魚が食べられる」と思っていたのに、結局、日本にいた4年の間ほとんど、食べた魚はノルウェー産の塩サバと、チリ産のサーモン、ロシア産のたらこばかり。これはもう、心の底から残念で残念で、今思い出しても悔しくてたまりません。実家に帰ったときだけ、毎日のように魚を食べていました。2013年に入って、ようやくしらす干しが解禁になりました。私も子どもも好きなので、高いのですが九州産をみかけると買っていました。

お金はやたらにかかるし、率直に言って、気が狂いそうでした。

アメリカへ戻ってくる直前、2013年の冬に至るまで続きました。ある日、わたしがついうっかり千葉産の里芋を買ってきてしまいました。産地表示を見た瞬間、夫が激怒して「離婚する・しない」という大騒ぎになりました。その後も「おでんの練り物セット」が宮城県産だったため、再び石油コンビナートが大爆発したような大喧嘩になってしまい「もうだめかも?」と思いました。