アンパンマンとジャムおじさん

昨日、母性の話を書いたので、……というわけでもないのですが、毎朝8時からの習慣のBS日テレアンパンマン」を見ていてふと考えたことがありました。
アンパンマンの作者のやなせたかしさんが、つい最近お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りしております。いろいろなところで報道され、追悼番組や特別番組も放送されていますが、やなせさんは戦争でずいぶん酷い体験をして、弟さんも戦争で亡くされ、かなり複雑な家庭環境で戦後を過ごされた、とのことです。

今日ふと思ったのはアンパンマンのお助け役・ジャムおじさんは、どうして男の人なんだろう」ということです。アンパンマンが弱った時、困った時には、必ずジャムおじさんが助けに来てくれます。ジャムおじさんアンパンマンは、強い絆で結ばれた無二のパートナーです。作者のやなせさんは、なぜこの関係を「男同士の関係」として描いたんだろう? と思ったのでした。ふつう、このような「深い強い関係」は、男と女の異性の組み合わせであることが多く、とりわけ女性が「母親役」として描かれるケースがとても多いような気がします。文字通り「母親」という形でなくとも、例えば肉体関係があるような場合や、女性が年下の場合でも「暗喩としての母」という役割を与えられているケースは多いと思います。なのに、なぜアンパンマンはそれが男同士なのか? と。

アンパンマンに出てくる「レギュラーっぽい女性キャラクター」は、バタ子さんと、メロンパンナちゃんと、ドキンちゃんです。バタ子さんは「女中頭」、メロンパンナちゃんは「いずれ嫁に行く幼女」、ドキンちゃんは「峰不二子」というのが私の見立てです。つまり、レギュラー女性陣に「母親役」がいません。
私は、ここにやなせさんの「母性への深い絶望」を見てしまいます。
以前「平塚らいてうの出鱈目さ」ということでこんなのを書きました。指摘するまでもなく、戦争中、多くの女性は「大日本帝国の母」という大儀の下に、自分の子どもを戦争へ送り出しました。多くの息子たちが母に(間接的に)殺されたというわけです。
母親が大切にするのは基本的に「自分の子」だけです。他人の子は関係ないです。そして「自分と子ども」という究極の選択になったとき、恐ろしいことですが、かなり多くの母親が「自分」を選びます。大日本帝国の母たちが「世間」の重圧に耐え切れず、わが子を戦場へ送ったことを見れば一目瞭然なわけで、今だって「世間様の目」のほうが「自分の子の本当の幸せ」よりも大切な母親は、多分ものすごくいるはずです。でなければ、就職活動に絶望した程度で(!)自殺なんかしませんよね?

やなせさんにとって「母性」というのは、恐らく忌むべきものでこそあれ、決して畏怖したり崇め奉ったりするものではなかったのだなぁ、と私は思っています。そんなものより、戦場という究極の現実を共に戦う「友」のほうが、彼にとってはリアリティある「深い人間関係」であったのだろうなあ、と。