「南条あやの保護室」を思い出す。

昨日、寝室に掃除機をかけていてふと思ったことです。今からだいたい15年ぐらい前に、
南条あやの保護室(現在はアーカイブのメモリアルとしてのみ存在)
というウェブサイトがありました。この「南条あや」さんという方は、夭逝されたのですが、たいへんな文才のある人で、彼女の日記は単行本になりました。

卒業式まで死にません 著・南条あや

彼女が亡くなったのは、実はあの2ちゃんねる」の誕生前です。この頃というのは、インターネットに「いる」ことは、文字通り「保護室」にいるようなものでした。ネットの中は、外界の辛い出来事や苦しい出来事から隔離された居心地の良い空間でした。そもそもネットをやっている人が圧倒的に少なかったので、心置きなく心情を吐露できました。インターネットは逃避の場所という側面もあったし、楽しい遊び場であり、自分が普段表現できないようなことを表現できる場所でした。最初期の2ちゃんねるも、そういう場所だったのです。

掃除機をかけながら何を思ったかというと、今は「LINE」もあるしFacebookTwitterもあるし、みんなと常に繋がっていられますが、その分「逃げ場」というものが、本当になくなっちゃったんだな、と。「LINEいじめ」なんていう言葉まで耳にするようになって、「さもありなん」と思う反面、ネットの中でまでギチギチに追い詰められちゃったら、いったいどうしろというのだろう? と今の子どもの不幸を想像してしまいました。

案外、逆に「じゃあ、ノートにしこしこと書き付けるよ」という具合に、過去に逆戻りしていくのかもしれないですね。ノートに書き付けておけば、そのノート本体さえ上手に隠しておけば絶対に誰にも見られることはありません。

私、実はアナログのノート日記も、もう十数年も続けていたりするのです。

<追記>と、ここまで書いて、「紙に書かれたもの(印刷されたもの)」と「ネットの文章」の最大の違いは、多分「読む人を選ぶ」ということなのかなーと、まぁ、当たり前のことなんですが。ネットは、書いた瞬間、読むのは無料だし、リンクされるし、で、あっという間に大炎上したり、想定していない人が大量に読んで粘着されたり。でも、紙に書かれたものは、まず第一にお金払って買うし、リンクされません。印刷書籍は、ものすごいコストがかかりますから、「できるだけ多くの人に読んでもらう」という点では不利です。でも「逆にそのほうがいい」と考える人が出てきたとしても、不思議はないのかもです。
なんだか何が言いたいのかわからない話になってしまいました。「人は誰しも、闇の部分をもっている」と私は思っていて、昔はそれを「ネットで吐き出したり」、そのもっと昔には「すごく親しい友人」とかリアルの人間関係で吐き出していたんだと思います。あるいは、文章や絵画や写真として表現していたんだと。でも、今はそういう「アナログ手段」が、ネットのおかげでどんどん廃れてしまいました。けど、逆に「ネットのせいで」世界が全部まっ平らになってしまって、「闇」を吐ける場所がなくなってしまった。だから、逆に「アナログへ回帰する」という道に戻っていく人が出たとしても、不思議はないなーと。そんな話です。