性のまなざし

来日中、FacebookのCOOが語る「女性の社会進出に必要な3つのこと」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1307/03/news014.html

↑あまり話題になっていないようなので(なったのか?)、是非、私としては一言いいたいのです。

一読して感じたのは「こういう人でも、私と全く同じ悩みを抱えて仕事をしていたんだなあ」ということです。

・リーダーになることは、女性には推奨されない
長時間労働のせいで、子どもができると今までと同じように働くことができない
・家事の負担と、家事にかかる時間が長い
・「他の人に嫌われないように、仕事をする」傾向が女性は強い

ざっと挙げると、こんなところです。男性に比べて、何倍も何倍もの重石を足につけられて必死に泳ごうとする、……という感じでしょうか?
結局、あるところまでくると「人生の目的ってなんだ?」みたいな哲学的な問いが頭をもたげてきてしまうのです。で「こんなに辛い思いして、おまけに周りに迷惑かけて、わたしは何やってんだ?」と。

多分、そう遠くない未来に、性差は果たして極小化するのでしょうか。それとも、温存されていくのでしょうか。
アメリカ社会を眺めていると、社会の「ものすごい上」と「ものすごい下」は、常にモノ・カルチャーで単一的です。人種も文化も、です。つまり、想像を絶するようなお金持ちとか、想像を絶するような貧乏人です。

と、ここまで書いたところで、それに対応するかのように以下の記事

DeNA南場さんの講演「ことに向かう力」がいい話だったので全文読め
http://matome.naver.jp/odai/2137283171836034701

思春期を経た後に「性差を意識しない」というのは、それはそれでものすごい「鈍感力」なんだろうな、と思います。否、鈍感力というよりも、意識的に「性の視線」を切り捨てているのだと思われます。
どんな醜女であろうと、たとえ障碍者であろうとも、女は「女である」というたったそれだけの理由で、男の「性の視線」に必ず晒されます。障碍者がレイプの被害者になるという事件は、どこの社会でも頻発します。そういう「性の視線」に「気づかない」or「意識しなかった」というのは、あり得ない話で、そこにはご本人の「意識的な遮断」があるのは、おそらく間違いないでしょう、……と私は思ったのでした。全体的なトーンは、ちょっと(かなり)宗教っぽいな、という感触も持ちました。