富岡多恵子とやおい小説

先日、始めて富岡多恵子を読んでみました。予想外の面白さに、続けて読む予感です。


新家族―富岡多恵子自選短篇集



作家には、長編得意、短編得意、とあります。少なくとも、富岡多恵子の短編は実によかったです。長編は読んだことがないのでわかりません。


1冊読んだきりなので、なんとも言いがたいのですが、短い感想です。
たいへん面白いだけではなく「良い」「価値の高い」小説です。同時に、そこはかとなく感じるのは「やおい」の匂いです。
いわゆる「やおい」小説に、偏見がある人もいます。それを百も承知で言いますが、やおい小説の中には、非常に質の高いものがかなり混じっています。私個人は、やおいには関心はほぼゼロで、韓流にもジャニーズにも興味ゼロです。従って、これらを批判も礼賛もしませんし、しようとも思いません。が、やおい小説は、仕事のために一時期、大量に読む必要に迫られました。


砂粒の中で、金を探す……というのは言いすぎですが、全く評価もされず埋もれている作品の中に、驚くほどレベルの高い作品が混じっています。
これらを、きちんと探し出して評価する作業……というのを、その界隈の人には是非やってほしいところですが、難しそうですね。残念。


<追記>
富岡多恵子やおい小説」に共通する「匂い」とは何だろう?……という問いにもこたえておこうと思います。
性交とその結果としての生殖に対する、希望の無さであり、絶望……、と言葉にしてみました。
やおい小説は、商業的に「男女の性交」を描くことはできません。よって当然ですが、男性同士の性交に生殖への希望が発生するはずもなく。性交とその結果としての生殖が絶望だからこそ、精神的な愛とは何かについて、深い考察が必要になってくるのです。
富岡多恵子も、男女の性交シーンや生殖を描きますが、そこには何の希望も未来への明るい展望もありません。その「希望の無さ」と虚無感に、私はかなり共感を覚えるのです。