「寝て・食べて・排泄する」

過去のことを振り返りつつ書いているわけですが、こうしている毎日の日々にも、やっぱりいろいろ事件は起こるわけで、本当にもううんざりです。「もう全部放り出して逃げ出したい」……というか、もうお酒をたらふく飲んでひっくり返っていたいとか思うわけです。

それはさておき、子どもが産まれた当初、我が配偶者は、口では「子どもが大切、何より大切、愛してる」とは言っておりました。ですが、行動が全く伴わない。実は「わが子より飼い猫のほうが大切」なんじゃないか? と密かに私が思ってしまうほど「親の自覚」がありませんでした。

行動が伴わない、というのは、別に毎日お酒を飲みに行ってしまうとか、ギャンブルでお金をつかってしまうとか、働く意思がないとか、女癖が直らないとか、そういうことではありません。配偶者はそういう部分では至極「まっとう」で常識的な人です。そこは今も昔も変わりません。ですが、彼はもともと「人との関わりを深く築かず、自分は自分というスタンスを崩さない」という人間でした。実は私もそういうところがあります。

しかし、このスタンスで「生まれたての赤ん坊」に接すると、赤子はすぐ死んでしまいます。深い関わりどころか、全ての世話をしてあげなければならないのが赤子です。そのへんが、父親になっても、彼にはよく理解できていないところがありました。決まった時間に眠り食べ起き運動をし、決まった時間に自分で決めたことを淡々とやる、という生活態度を崩しませんでした。

ところが、私がフルタイムで働き始めると、彼が子どもの世話をしなければならなくなりました。

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子どもというのは「寝て・食べて・排泄する」ということが9割以上を占めます。というか、実は全ての人間がそうなのです。子どもはその全てに介助を必要とする存在だ、ということなのです。子どもを育てると「人間がいかに動物であるか」ということに嫌というほど気づかされます。

人はみんな赤子のときに誰かに助けてもらって育ち、老いて後には「介助を必要とする」存在へ返っていくのです。全ての人が「必ず」誰かに助けてもらって成長し、誰かに助けてもらって死んでいくのです。育児をすると、そういう当たり前のことに気づくのです。

そして、人の生と死をただひたすら「助け続けてきた」たくさんの誰かたち、のことを考えずにはいられなくなるのです。

話がずれましたが、私の配偶者は、私がフルタイムで働いている間、ほぼ毎日12時間以上を子どもの世話に追われることになったのです。(続く)