「ポルノ雑誌の昭和史 」

ポルノ雑誌の昭和史

川本 耕次 (著)

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を読みました。

まず、こういったポルノ関係・エロ関係の「歴史」は、放っておくとどんどん散逸して何がなんだかわからなくなります。ですので、関係者からこのような形で「歴史」がまとめられるのは、非常に良いことだと思います。

以前「最も早く「グローバル化」した産業」というシリーズで書いたように、昔は〔エロと反体制〕、というコードが分かちがたく結びついておりました。故に、「エロをやる、ということには何かしら政治的な文脈がある」という下地がありました。ですが、現在はこのコードが完全に抜け落ちています。エロは「反体制」というよりも、むしろ「反社会」となってしまいました。よって、その昔から業界に関わってきた人たちが、過去に口を閉ざすようになっています(いやー、私もそうなんですけどね、スイマセン)

ですので、業界の中を1970年代から歩いて実地で体験してきた著書の川本さんが、こういう形で本を残してくれていることは、非常に貴重かと思います。

二つあります。

一つ目。ビニ本・自販機本の「モデル」は、素人の女性がほとんどであった、ということです。これは別に特筆すべきことではなく、少しでも業界にクビを突っ込んだことのアル人にとっては周知の事実です。「素人」あるいは「素人もどき」を、上手に説き伏せて脱がせて行く……これが、ビニ本・自販機本時代から続く、エロ本撮影の伝統でした。

ちなみに、この流れがあったために「アダルト・ビデオ」でも、同じ事をされているんじゃないかという懸念から、女性団体がAV屋さんに猛抗議をしたこともあります。ですが事情はちょっと違っております。「昭和史」の中にも書かれているとおり、1970年代の半ばから1980年代にかけて、自販機本の大爆発が起こります。すると「モデルの供給不足」が必然的に起こります。業界は常に「新しい女の子」を求めておりますので。よって、その頃から「プロダクション」によるモデル手配が一般的になっていきます(ところで「マナベのおっちゃん」は、私も知っています)。勿論、初期には(実はその後も1990年代の半ばぐらいまでにかけて)プロダクション経由とはいえ「水着のアイドル撮影だから」的に、半ば騙されてくる子がいたのは事実のようです。ですが、プロダクション経由になってからは、そういった「トラブル」は激減したはずです。逆に、作り手のほうで「いかに素人っぽく見せるか」に、苦心するようになっていきます。ということは、女の子の「玄人化」が進行していたということです。

「最も早く「グローバル化」した産業 その8~ビデオの質の変化」でも触れたように、その後のAVの勃興によって、さらなるモデルの大量供給が必要になります。こうして、モデルの女の子は風俗嬢等の「玄人」になっていきます。

今回この「昭和史」を読んで知ったのですが、戦前のエロ本や、戦争直後の「裏本」でも、モデルは「玄人」(芸者や街娼等)だったそうです。その意味では「先祖がえり」を起したわけですね。

但し、この「先祖がえり」には興味深い点があります。戦前・戦争直後には「芸者を含む売春婦」というのは、職業としてはっきりと分離されていました。最大の理由は、日本が制度として「公娼」を認め、女を公に「生殖用・売春用」に分割していたからです。

ところが、戦後「公娼制度」がなくなりました。そのことで「売春婦と素人」の境界線が無くなり、女の人がなだれを打って性産業に関わるようになっていったのです。そこに、現在特に問題化し始めている「経済格差の拡大」が楔を打ち込んでいきます。こうして「職業として性産業に専業的に関わる」女性たちが、結果的に再分離していきました。


二つ目。

1976年、という年がひとつの「エポック・メイキングな年」だったということです。理由は、当時の「松尾書房」という老舗の自販機ビニ本の版元から、営業の人が何人も独立しているのです。これらの人たちは、後に中堅出版社へと成長するいくつもの版元を立ち上げました。

ちなみに、1976年には次のようなことが起こっています。

中国の周恩来国務院総理が死去/北海道庁爆破事件/学校給食に米飯が導入/アップルコンピュータ設立/「日清焼そばU.F.O.」発売/新自由クラブ結成/ベトナム社会主義共和国成立(北ベトナムが統一)/ロッキード事件田中角栄前首相逮捕/「どん兵衛」発売/毛沢東主席が死去/三木改造内閣発足/家庭用VHSビデオテープレコーダ1号機発売/米国でカーターが初当選

およげ!たいやきくん」「春一番」「ペッパー警部」「木綿のハンカチーフ」「横須賀ストーリー」「山口さんちのツトム君」「東村山音頭」「東京砂漠」等の歌が流行りました。

なぜ「1976年なのか」はよくわかりません。ただ、前年にはサッチャーがイギリスの首相になり、ベトナム戦争終結しています。歌では「いちご白書」が流行ったりと、いろいろな意味で「政治闘争の季節」が、このあたりで完全に終わった、という感はあります。1960年代から1970年代の初めにかけて続いた、学生運動や団地での政治運動等が、このあたりを境にして、完全に燃え尽きた……というところでしょうか。

「政治の季節から、性の季節へ」……の明確な変節点が、1976年なのかもしれないですね。

<追記>

ところで、1976年に独立していった営業の人たちの「目のつけどころ」は、やはりコンテンツではありませんでした。流通です。これは特筆すべきことかと思いますので、追記しておきます。