愛ベースの「結婚」?

男性にとって「父になること」というのは、「男になること」を意味します。

男になる、とは、即ち「一人前になる」ということです。

一人前になること、とは「社会の成員として認められる」ということです。


昔は「生物学的に父になること」が、そのまま「父として権威付けられること」でした。

生物学的に父になれば、自動的に父の権威がついてきました。「父」というものに対して、「社会」が権威を与えていたからです。

今は、父の権威は地に落ちました。生物学的に父になっても「メンテナンス」を怠れば、父の居場所は家庭にも地域にもなくなります。仕事にかまけて、家庭を疎かにした結果「お父さんはATM(現金自動支払機)」状態。家庭内で父だけが疎外されている、という状況はドラマやパロディになるぐらい一般的です。


それでも少し前までは、これでもOKでした。なぜかというと、ほんの数十年程度前までは「男の居場所は、会社にあった」からです。会社で死ぬほど仕事をして(しているふりをして)いれば、同僚や上司から「男の承認」は得られました。給料は上がり、ポジションも上がり、男として「成功」していく上昇径路が準備されていたのです。

「成長する」という同じ夢を、経営者も労働者も見ることができました


景気の悪化とグローバル化で、終身雇用と年功序列が崩壊。「成長の夢」も崩壊した、といえるでしょう。死ぬほど仕事をしても「パートのおばちゃん」並みの扱いと給料では、「オレは仕事にかけるぜ」的な男の自己実現は、もはや不可能です。


家庭にも居場所がない、仕事場にも居場所がない。

だったら、最初から仕事を諦めて「父としてのオレにかけるぜ」というのが、イクメンです。

今や「父になる」ためには、絶大な努力とコミットメントが必要となりました。お金を運んでくるだけでは、父になれません。そもそも、家族を養い満足させられるだけのお金を運ぶことも難しくなりました。



男にとって「結婚すること」というのは「男になるための資格試験」です。妻を娶り、妻に自分の子を産ませ、一家の家長として君臨すること。そうすることで、社会の「他の男」から「一人前だね」と認められること。それが「結婚」です。

それが、今は経済的な理由で非常に難しくなってきています。つまり、男一人の給料では妻子を養えない、という時代になりました。よって「結婚という資格」は、男性にとっては、司法試験並みの難しさになりました。

結婚するためには、妻子を養えるだけの「お金」が必要です。逆に言えば、お金があれば「妻は買えます」。女は金についてくる、とホリエモンは言いました。


では、女は?

女にとっての「結婚」は、「私、男に選ばれた」という刻印です。

「男は金についてくる」のでしょうか。ついてはきますが、女にとっての結婚は「金で買わない」ことに意味があります

一目で「金でなびいたな」とわかる若くて美しい妻を誇らしげに連れ歩く、中高年のお金持ちの男性を見て、人は苦笑しつつ「羨望の視線」を送ります。

ですが、一目で「金でなびいたな」とわかる若いホストのような男性を誇らしげに連れ歩く、中高年のお金持ちの女性を見て、人は(影で)「哀れみ」と「嘲笑」を送ります。


「異性を金で自由にすること」は、男にとっては誇りで、女にとっては惨めなことです。

「社会的に成功すること」(権力・地位・財力を持つこと)が、そのまま「性的な魅力」に直結するのが、男性。

女性は、「社会的に成功すること」は、むしろマイナスに働きます。

このギャップを埋めようとしたのが、例の「東電OL」ですね。

<訂正>埋めようとした、というより、埋めようとした結果、引き裂かれてズタズタになった、というほうが正解かもですね。


------------------------------


昨今の若い女性たちは「結婚なんて、ドラえもん検定5級程度の価値しかない」ということが、ちゃんとわかっています。ですので、あんまり結婚しなくなりました。

「私が、選ばれた」という刻印は、そのまま「一人の男と家庭に、がんじがらめにしばりつけられて老いて行く」という、むしろ「スティグマ」に近い、とバレた感があります。自分より上の世代の女の苦労や苦しみを見て、自由があるのに、同じ苦労をしたいとは誰も思わないでしょう。当たり前です。

実際、女は「相手を選ばなければ」、結婚という「資格」だけなら、ほぼ誰でも取得可能です。


よって「あの女、社会的に成功したけど『結婚さえできない』失格品でしょ」という、密かな嘲りは、「結婚ゲーム」から降りた女性にとっては、全く意味を成しません。意味がないどころか、滑稽にさえ響きます。

「結婚する、ってことはあなたにとって、そんなに難しくて価値の高いことだったのね、お疲れ様」と私なら言うでしょう。


さて「金で、いくらでも女を自由にできる」男たちの中には「自分の価値は、金じゃない」……即ち「オレの結婚は、金じゃなくて愛ベースだ」……ということを証明するために、金でなびく女の類を、一切拒否する男性がいます。だったら、金と地位を誇るのをまずやめろよ、と思うのですがそうはしません。その上で「ボクそのものの価値を認めて」というずうずうしい要求を押し付けてきます。

こういう種類の男性は、「自分と同じぐらい、財力を持つ」「自分と同じぐらい、権力を持つ」女性との結婚を望みます。そして、実際そうする人も多いです。それが「愛の証明」というわけです。笑っちゃいますが。

女性にとって、以前は婚姻とは「社会的に上昇する」ことを意味していましたが、これが難しい時代になってきています。例えば、医者と結婚したいなら医者になれ、というようなことです。


ですが、その結果、離婚も激増しています。金は人を自由にします。経済的な依存がないならば、そして相手が「嫌いになった」のならば、その男(その女)と結婚し続けている理由はありません。

かように「法的な結婚」というのは、「カネ」と密接に結びついています


「本当に愛ベースの関係が築きたい」のであれば、法的に結婚しないことです。法的な結婚は、その関係が「カネベース」であることを逆証明するだけです。