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「この世界の片隅に」

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子どもが「お腹インフルエンザ」に罹り、熱はないけれども下痢と嘔吐が止まらないという状態で、外出がままならないこの数日。おかげで、今さらですが「この世界の片隅に」を読みました。
2巻目ぐらいから、ところどころで涙腺が緩み過ぎて涙が止まらなかったです。これは本当に良い本だと思いました。時代背景としては広島の原爆投下のことを扱っているのですが、この本の本質的なテーマは、そういうことではないと思いました。
毎日の生活が辛くてたまらない人の中には「戦争をしたい」と感じる人が出てきているのは理解できます。「出口がない」「永遠に終わりがない」日常の日々が辛い。何のドラマもない、何の変化もない、このままずーっと変わらない。決して良くならない。むしろ少しずつ悪くなっていく。未来が見えない。希望が何ひとつない。真面目に頑張っても良いことが何ひとつない。いっそのこと、すべてをぶち壊してしまえ、戦争になればいい。そういう感覚を持つ人がいるのは、特に今のような時代であれば、実に理解できる話です。
この世界の片隅に」は、その真逆を行く話です。「毎日の日常生活は、実はとてつもない奇跡の上に成り立っている」……そう感じる話です。
生活というのは、終わりがないのです。つまらなく、退屈で、毎日まいにちが同じことの繰り返しです。
例えば、今戦争になったら?戦争になったら、多分、一時的な高揚感はあるでしょう。東日本大震災のときもそうでした。その後にも生活はやはり延々と淡々と続いていくのです。

 

写真「BLACK JACK」は、約1年前の「自分にごほうび誕生日プレゼント」大人買い。まだ4巻までしか読んでません。もったいなくて読めない、という話もあります。

 

「萌え」とは

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環境省が萌えキャラを募集(?)しているとかしていないとか。これに関連して「フェミニズム」の界隈で萌えキャラを使うことについて、論争が起こっているようですが。「萌え」が性差別か否かということより、「萌え」を公共の場で使い、それを大喜びで受容するという神経が、そもそも私にはわかりません。
「萌え」というのは、一種の「高踏派」宣言として始まったはず。
「この素晴らしさ、この世界観は、お前ら一般人にはわからんだろう。俺(たち)だけにはわかるんだ。うははははは」
という、それが萌えだったはずなのに。
公共性にすり寄って「ね?ね?ね?これ、いいでしょ?いいでしょ?」とは……。恥を知れ、と言いたい。

写真は、3回買い直しをした「赤い牙」。引っ越しのたびに捨てては買い、捨てては買い…。今集めているのは、藤子・F・不二雄のSFシリーズです。

読書時間がなくなってしまった。

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引っ越して間もなく5か月。ようやく落ち着いてきた気はしますが、予期せぬことが次から次へと起こるので、なかなかまとまった文章を書こうという気分になれない日々です。
何より問題なのは、通勤が自動車になってしまったので、本を読む時間が無くなってしまったという点です。今までのン十年間、読書時間はほぼ通勤時間。なんだかんだで毎日、概ね1時間程度「読む時間=インプットの時間」がありました。
通勤が無い「在宅勤務」の時代は、起きる時間が比較的フレキシブルでした。おかげで夜、本を読めました。時には明け方まで読んでも、翌日朝9時まで眠っていても問題なかったのでOKだったのです。今は、起きる時間が決まっているのでそれもできません。
通勤時間という「必須のすき間の時間」が無くなってしまい、当たり前の時間が当たり前でなかったことに気づきました。つまり実は読書時間が自分にとってものすごく重要だったことを認識。
インプットがないので、アウトプット(=書くこと)ができなくなっているのです。インプット(=読書)は、直接的な書くという動機だけではなく、考える種を与えてくれていたということが理解できました。

写真はIn'n out というファーストフードのハンバーガー屋。冷凍のフレンチフライを使わない、というのが売りの一つ。店先で、生芋を機械で切ってます。デパートの屋上にある餃子屋さんのパフォーマンスみたい、と思いました。味は、かなり美味しいです。

Mandarin immersion program

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子どもの通う公立学校では、中国語(標準中国語)で授業を行う、というプログラムがあります。

恐らく実験校的な試みだと思われますが、今年で6年目だそうです。中国人と中華系の家庭だけではなく、このプログラムを受けている家庭には、中国とは全く無関係な家庭の子どもも、とても多いです。このプログラムのおかげで、この学校では、文化的、人種的な多様性が確保されていて、本当に素晴らしいことです。全米公立学校ランクは、9/10。

今住んでいるこのコンドミニアムを、一瞬ですぐ決めた理由は、この学校です。学校まで徒歩3分。自動車移動が生命線の南カリフォルニアで、この素晴らしい学校に歩いて通える距離、というのはあり得ないほどの好ロケーション。外国人母(=わたし)母子家庭としては、これほどの安心感はありません。

プレッシャー

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プレッシャーを感じる人というのは、人からプレッシャーを与えられているというより、自分で勝手にプレッシャーを感じているのだなあ、と義理の姉の言動をみていてつくづく思いました。

テキストSMSでもなく、電話をかけるわけでもなく、Eメールを出したのに

「今、バスの中にいるから返信できません、ふじdふぉいOj?huhijop"ふじこふじこ」

て、そんな返信をいただく必要はないのです。即応を求めていないから、Eメールで送信しているのですよ。ていうか、返信してるのでは? あとそれだけ入力できるのなら、亡夫の遺灰がどこにあるのかぐらい入力できるのでは?

遺灰を置いておいた家が「もうすぐに売りに出されて、家の中は空っぽです。この住所を郵便の宛先にしているものがあったら、全部変更してください」と連絡しておいて、遺灰の行き先を伝えないのは、頭がおかしいんじゃないの?

つい先日、今度は義父が亡くなりました。そのやりとりの最中です。

自分(たち)のやり方に自信がないのか、何なのか。プレッシャーと罪悪感を感じていると思われるメールやテキストをしばしば送ってきていましたが、今回はさすがにかなりの怒りを感じています。

「遺灰はどこ?」と尋ねるのは当たり前の質問だと思うんだけど。

プレッシャーと罪悪感と劣等感は、人から無理やり持たされるものじゃないですよ。自分が勝手に持つものなんですよ。

プレッシャーと罪悪感と劣等感、この三点セットが強い人ほど、他人を責める傾向があるのも、最近理解したことです。そして、この義理姉妹(たち)は、夫にそっくりです。いいところも悪いところもそっくり。

折々事情は書き綴っていこうと思いますが、写真はうちのネコです。間もなくこの猫との関係も10年になります。